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徳島地方裁判所 昭和53年(ワ)153号 判決 1986年7月28日

原告 甲野太郎

右訴訟代理人弁護士 堀和幸

被告 国

右代表者法務大臣 遠藤要

右指定代理人 西口元

<ほか八名>

主文

一  被告は、原告に対し、金三〇万円及びこれに対する昭和五九年一〇月一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用はこれを五分し、その三を被告の、その余を原告の負担とする。

事実

第一当事者の申立及び主張

(請求の趣旨)

一  被告は、原告に対し、金五〇万円及びこれに対する訴状送達の翌日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  訴訟費用は被告の負担とする。

(請求の趣旨に対する答弁)

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

(請求の原因)

第一  原告は、B地方裁判所において懲役一四年の刑に処せられ、B刑務所で刑の執行を受けていたが、昭和五三年一月一八日A刑務所に移送され、以後今日まで引続き同刑務所で服役中である。

第二  右のとおりA刑務所で服役中の昭和五三年一月一九日から今日まで、原告は被告の以下のような違法もしくは不当な処遇によって多大な精神的肉体的苦痛をこうむった。

一  昭和五三年一月一九日から同年六月二二日までの間の戸外運動の停止及び入浴等の制限

1  昭和五三年一月一九日から本訴提起の手続きをした同年六月二二日までの間、原告は左の期間特房及び保護房に拘禁された。

イ 特房

一月一九日から同月二六日まで

二月九日から同月一七日まで

三月一日から同月八日まで

同月二三日から四月一日まで

同月一二日から同月一五日まで

同月二五日から同月三〇日まで

五月一八日から同月二六日まで

六月一六日から同月二二日まで(以降八月一四日まで継続)

ロ 保護房

一月二七日から二月八日まで

同月一八日から同月二八日まで

三月九日から同月二二日まで

四月二日から同月一一日まで

同月一六日から同月二四日まで

五月一日から同月一七日まで

同月二七日から六月一五日まで

2  右期間中の原告に対する違法行為は左のとおりである。

イ 監獄法、同法施行規則によると被拘禁者は毎日一回三〇分以上の戸外運動をさせる旨定められているにもかかわらず、一回も戸外運動をさせなかった。

ロ 同じく入浴は五日ないし七日に一回と定められているにもかかわらず、二月九日、二八日、三月二二日、四月一一日、二四日、五月一八日、二四日、六月一五日の八回しか入浴させなかった。

ハ 同じく調髪は二〇日に一回、顔剃りは七日に一回と定められているにもかかわらず、調髪は二月二八日、三月二二日、四月二四日、五月一八日、六月一五日の五回しかさせず、顔剃りは右入浴の同日しかさせなかった。

ニ 爪切りを房外に出る機会以外にはさせなかった。

3  右各行為は監獄法に違反するのみならず、憲法一三条、二五条、三六条に違反する違法違憲の処遇である。

二  保護房及び特房の設備上の瑕疵

1  原告は服役中である昭和五三年一月一九日から昭和五五年五月五日までA刑務所の特房もしくは保護房に拘禁された。

2  ところが、特房も保護房もいずれも給水栓が房外にあって、給水はすべて担当看守の恣意に委ねられている。もちろん原割は被収容者の申し出により給水がなされるとされているが、洗面や手洗い、大小便の洗浄は被収容者の健康保持のため必要不可欠のものであり、これを看守の恣意に委ねることは被収容者に不必要な不安を与えるのみならず、看守の意に沿わない被収容者に対する私的な制裁を可能にする。現に、被告看守は原告の申し出を無視して給水をしないなど恣意的な取扱をした。

3  特房は軽屏禁の執行のための独居房、保護房は被収容者の鎮静および保護にあてるために設けられた独居房であるが、軽屏禁とは受罰者を罰室内に昼夜屏居させる懲罰であるから、これを執行する場所である特房もその目的を達するに必要な限度でのみ普通房と異なる設備を設けることが許されるというべきであり、この理は保護房においても同様であって、被収容者の鎮静と保護という目的を達する限度においてのみ、異なる設備が許される。

4  右のような特房および保護房の構造は、被収容者に対しいたずらに不快感、屈辱感、或は、不安感を与えるのみならず、極めて不衛生なものであって、原告の健康を害する危険性が大きく、この様な構造上の欠陥は、国家賠償法二条一項にいう「公の営造物の設置に関する瑕疵」に該当する。

三  長期にわたる独居拘禁の継続

原告はA刑務所に移送収監された昭和五三年一月一九日以来昭和五九年九月末日までの間六年半の長期間にわたり、右特房及び保護房において独居拘禁されてきた。このような長期にわたる独居拘禁は憲法三六条で禁じられた「残虐な刑罰」に該当する。すなわち、

1  昼夜を通じての独居拘禁は、その長所として他の受刑者からの悪影響を避けて反省の機会を与えることにあるとされるが、反面、それが長期に及ぶときは受刑者を心身ともに疲憊させ、受刑者に与える苦痛が大きく、改善にも有害であることは周知の事実であり、昼間雑居・夜間独居の建前が望ましいことは多くの論者の指摘するところである。

従って、たとえ懲罰や保護を目的として昼夜間独居拘禁がなされる場合においても、それが不当に長期にわたり、受刑者に不必要な苦痛を与える場合は、右の独居拘禁の執行は憲法三六条にいう「残虐な刑罰」に該当するといわなければならない。

2  のみならず、原告を隔離した目的は、懲罰や保護というよりむしろ原告のアジテーションによって他の受刑者がその抑圧された状況を自覚させられ刑務所に対する反感が広がることを防ぐことにあった。とすれば、原告に対する独居拘禁は残虐な刑罰にとどまらず原告の思想良心の自由や表現の自由を侵害するものといわねばならない。被告は原告が他の受刑者から危害を加えられるのを防ぐためであるというが単なる憶測に過ぎない。

3  原告はこれまでにも雑居で服役した経験があり、概ね他の受刑者と良好な関係を保っていたのであり、また、雑居になっても他の受刑者に対する働きかけは止めないにしても、それなりのやり方をするはずであるから、雑居拘禁が試みられて当然である。

また、仮に原告に看守に対する反抗的な態度があったとするなら、それは前述のような独居拘禁のもたらす心理的、生理的悪影響からすると、むしろ本件独居拘禁そのものが原告の反抗的態度を誘発している可能性が大きい。被告の態度は自らの責任を原告に転嫁するもので許されない。

第三  原告は右第二の一ないし三の被告の不法行為により、多大な肉体的精神的苦痛をこうむったので、その慰謝料として金五〇万円と、本訴状送達の翌日以降民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める

(請求原因に対する答弁)

第一請求原因第一の事実は認める。

第二請求原因第二について

一  第二の一について

1  1の事実は認める。原告は、B地方裁判所において強盗、強姦、恐喝、強盗致傷、窃盗、強盗予備罪により懲役一四年の刑に処せられ、昭和五二年一〇月一二日からB刑務所で刑の執行を受けていたところ、昭和五三年一月一八日A刑務所に移監されて現在に至っているものである。

2  2のイ、ロ、ハ及びニの事実は認める。

3  3の主張は争う。

二  第二の二について

A刑務所長が原告を昭和五三年一月一九日から昭和五五年五月五日までの間特房および保護房に引続き拘禁したこと、右各房とも給水栓が房外に設置されており給水はすべて被拘禁者の申し出により担当看守が房外のバルブを操作しておこなう仕組みになっていること、普通房においては給水栓が房内に設置されていること、はいずれも認め、その余は争う。

三  第二の三について

A刑務所長が原告を昭和五三年一月一九日以降昭和五九年九月末日まで引続き特房および保護房もしくは病舎1房(これも独居房である)において独居拘禁してきたことは認める。

第三原告に対する処遇の適法性

一  本件懲罰及び保護房拘禁について

1  刑務所は、多くの受刑者を拘禁しこれを集団として管理している施設であるところから、その性質上秩序を維持する必要があることは当然である。そのため監獄法(以下「法」という。)五九条は「在監者紀律に違いたるときは懲罰に処す」と規定して、秩序を維持するため懲罰に処すことができることを明らかにしている。そして、右規律の具体的内容として、監獄法施行規則(以下「規則」という。)は一九条一項及び二二条二項において在監者が遵守すべき事項につき定めてこれを備置することを規定している。

本件各懲罰処分当時、A刑務所においては法及び規則に基づき、右遵守事項を定めて各居房に備え付け、懲罰の対象となる規律違反行為を明らかにしていた。

2  法六〇条以下によって、収容者に科される懲罰の種類及び期間が明定されており、これらは併科することも許されており、監獄内の規律違反行為に対しいかなる種類の懲罰を科し、その量定をどのようにするかはもっぱら刑務所長の裁量に委ねられている。

3  また、規則四七条は「在監者にして戒護の為め隔離の必要あるものは之を独居拘禁に付す可し」と規定する。これは、いわゆる刑務事故例えば逃走、殺傷、自殺等のおそれのあるものを戒護の必要上独居拘禁に付するかどうか、また鎮静及び保護の為の保護房拘禁に付するかどうかの判定を、前記法令の趣旨に照らして、事態に応じて必要かつ合理的な範囲において刑務所長の裁量に委ねたものである。

4  原告は昭和五三年一月一八日A刑務所へ入所したが、その直後からA獄中細胞と称して現体制に反抗する旨を公言し、職員に対する反抗の姿勢を崩さず、規律違反行為を反復継続した。また、あらゆる機会を通じて職員を侮蔑し、その職務執行に反抗すべきことを教唆、扇動し、A刑務所の秩序と規律を重大な危険にさらした。

5  本件懲罰処分は、このようなA刑務所入所以来原告が意図的になした職員に対する暴言、暴行、大声(他の受刑者に対する不正な呼びかけ)等の明らかな規律違反行為に対して科したものである。そして、この間の処遇の制限は、懲罰制度本来の効果を担保するため不可欠のものであり、科罰手続、執行方法、科罰中の健康管理等のいづれについてもすべて適法であってなんら違法はなかった。

6  本件保護房拘禁は、原告がいわば実力をもって、収容目的に反して施設の安全を害し、あるいは職員のなす安全と秩序維持の為の適法な職務行為を妨害したことに対する緊急の予防的、制止的な唯一の対応である。そして、この間の処遇の制限は、保護房拘禁の目的を達成するため不可欠のものであり、拘禁方法、拘禁中の健康管理等のいづれについてもすべて適法であってなんら違法はなかった。

二  原告の健康管理について

原告に対する本件独居拘禁期間中は、原告本人の主訴による場合はもちろん、軽屏禁執行に際してはその前後に必ず医師による健康診断を受けさせているほか、保護房拘禁中は必要に応じ、また、独居拘禁の継続にあたっては三ヵ月毎の定期に、それぞれ健康診断を含む医師の診療を実施しているが、その結果からも、原告の健康状態は普通で変化のないことが証明されている。したがって、本件独居拘禁によって原告の健康はなんらの実害も生じていないことが明らかである。

なお、右の期間を通じて、原告は時折下痢の症状を訴えているが、通常下痢の症状は各人の体質によって生ずるもので、原告の下痢が本件独居拘禁によって誘発されたものとは認められない。

三  戸外運動、入浴等について

1  戸外運動について

原告については、A刑務所に入所以来軽屏禁の執行及び保護房拘禁が継続しており、昭和五三年六月二九日まで戸外運動を行わなかった。法六〇条一項一一号、二項に規定する軽屏禁は、受罰者を厳格な隔離によって謹慎させ、精神的孤独の痛苦によって改悛を促すものであるから、その性質上戸外運動の停止を随伴するものと解され、戸外運動を禁じたからといって直ちに違法となるものではない。しかも、A刑務所長はこの間に、軽屏禁の執行の前後を含め必要に応じて一一回(昭和五三年一月一九日、二月一七日、二二日、二三日、二八日、四月七日、一九日、二四日、六月一三日、一四日、一五日)にわたって医師の診断を受けさせ本人の健康保持については十分な配慮をしているのであるから、この点からも戸外運動をさせなかったことに違法はない。

また、保護房拘禁中についても、前記の制度の趣旨からみて同様に考えられる。

さらに、原告は、房内において自らかなりの量の運動を行っているほか、たびたび保安課に連行され、その際外気に触れる機会もあって、運動量に不足はない。

2  入浴について

A刑務所長は、健康保持への配慮から、保護房拘禁解除の直後等可能な時期を捉えて本件懲罰執行中にも特例を認めて入浴させ、しかも、入浴に代えておおむね五日に一回温湯で身体をふかせる措置(拭身)を講じていて、原告の健康が損なわれた事実はない。規則一〇五条但書の入浴基準(夏季五日に一回、冬季七日に一回)は、必ずしも例外を許さないものではなく、むしろよるべき基準を定めた訓示的規定である。

3  調髪等について

規則一〇三条二項には調髪はおおむね二〇日に一回、顔剃りは少なくとも七日に一回させることになっているが、原告はこの間軽屏禁の執行中もしくは保護房拘禁中であったから、この程度の超過で直ちに違法となるものではない。爪切りについてもこの程度の処遇でなんら違法はない。

四  独居房の構造、設備の適法性について

1  特房は主として軽屏禁罰を執行する独居房であり、一方保護房は罰室ではなく、規則四七条にいう「在監者にして戒護の為め隔離の必要があるもの」を収容する独居房である。保護房設置の必要性は、受刑者の戒具の使用に代えて保護房に収容することにあり、受刑者の身体に対する直接的な拘束を避けて戒護の目的を達する意味で戒具の使用より望ましいとされる。

2  特房と保護房の構造上および設備上の相違点は、ただ換気及び採光の方法が、特房が自然換気(窓)及び自然採光であるのに対し、保護房が換気扇及び一部室内照明によっている点であり、その他においては殆ど同一である。

両房とも給水栓を房外に設置しているのは、給水栓の操作を受刑者の自由に任せることは処遇上問題が多いためであるが、その代わりに、給水は起床後の清掃時、洗面時、及び食事の前後などの定期的給水の外、用便後については必要に応じて給水している。

3  以上のとおり、原告を拘禁した独居房には、構造上も設備上もなんら瑕疵はなく、処遇においても適法になされてたもので、原告主張のような瑕疵はない。

五  A刑務所の収容事情等について

1  A刑務所は犯罪傾向の進んでいる受刑者約七〇〇名(うち約三分の一は刑期八年以上の長期受刑者)を収容する刑務所であり、特に、粗暴犯、暴力団関係受刑者多数が収容されている施設であるところから、常に職員または他の受刑者に対する殺傷等の事故発生の危険をはらんでいる。ちなみに、A刑務所の収容対象はいわゆるB級受刑者及びLB級受刑者である。ここにB級受刑者とは、施設受刑歴があること、反社会性集団への所属性が強いこと、反抗が習慣的または計画的であること、生活態度が不良であること、等の特性を持つ者であり、LB級受刑者とは、執行刑期八年以上で、右のB級受刑者の特性を合わせ持つ者である。そして、昭和五七年三月八日現在における収容受刑者の内訳は、LB級約二七〇名、B級四三〇名であるほか、暴力団関係受刑者が全受刑者の約半数を占めている。

2  原告は、LB級受刑者として昭和五三年一月一八日A刑務所へ入所したが、その直後からA獄中細胞と称して現体制に反抗する旨を公言し、職員に対する反抗の姿勢を崩さず、規律違反行為を反復継続した。また、あらゆる機会を通じて職員を侮蔑し、その職務執行に反抗すべきことを教唆、扇動するため、いわゆる「処遇困難者」として、A刑務所の中でも特に細心で周到な注意を要する受刑者の一人である。

六  以上いずれの点をとっても、A刑務所長及び同刑務所職員のとった措置は、その職責上当然の措置であり、いずれも適法であって、なんら違法性を帯びるものではない。

第二証拠関係《省略》

理由

一  原告がB地方裁判所において懲役一四年の刑に処せられ、昭和五二年一〇月一二日からB刑務所において刑の執行を受けていたところ、昭和五三年一月一八日A刑務所に移送され、同刑務所で引続き服役中であること、は当事者間に争いがない。

二  請求原因第二の一(戸外運動の停止、入浴等の制限)について

1  《証拠省略》を総合すると、次の事実が認められる。

イ  原告は、A刑務所において右の昭和五三年一月一九日から同年六月二二日まどの間、次のとおり軽屏禁の懲罰の執行を受けた(なお、原告に対する軽屏禁懲罰には、すべて文書図画閲読禁止の懲罰が併科されているが、以下では右併科罰を省略する。)。このため右期間の全日数である一五五日中合計一四二日間軽屏禁懲罰の執行を受けたことになる。

(一) 一月一九日から二月二一日まで 三四日

(二) 二月二八日から四月一八日まで 五〇日

(三) 四月二四日から六月一二日まで 五〇日

(四) 六月一五日から六月二二日まで  八日

ロ  右のうち(一)は、原告がA刑務所に移送される以前に服役していたB刑務所において昭和五二年一二月一五日「大声を発し、舎房の静謐を乱したこと」等を理由として軽屏禁六〇日の懲罰に付されてその執行中であったところ、A刑務所への移送に伴いB刑務所長からの右懲罰の執行の嘱託を受けて、移送の習日である昭和五三年一月一九日から同年二月二一日までの間右残罰の執行を受けたものであり、(二)ないし(四)もまた、いずれも原告がA刑務所において「大声を発し、舎房の静謐を乱したこと」等を理由に懲罰に付されたものであった。

ハ  右各懲罰の理由とされた原告の行動の大要は、次のとおりである。すなわち、

原告はB刑務所における服役当時から、A刑務所に移送された前後を通じて、マルクス主義青年同盟A獄中細胞と称して、他の受刑者に対し「友人諸君」「こちらはマル青同です」「社会主義の勝利に向かって前進しましょう」と呼びかけ、大略「現在の社会は階級社会であること、現状は官僚的役立たずが資本家の言いなりになっていること、そのような階級的統制に打ちひしがれることなく現状に目覚めて、一切の権力をマル青同に集中して、現状を変革するために徹底的に戦い抜く必要がある。」との趣旨の政治的、社会的主張を機会あるごとに発言しようとした。

そして、独居房の窓を開けて大声で演説したり、密室同然の保護房内でも外部に響く大声を上げたり、房の壁にスローガンを落書きしたりしたほか、これを制止する看守の指示に反して演説を続け、さらには「看守にだまされてはいけません」「我々は獄中の抑圧を粉砕しなければならない」などと演説し、あるいは、制止する看守に対し「ど阿呆」「犬ころ看守」などの侮蔑的言辞を弄したり、ある時は看守が実力でこれを制止するのにもがいて暴れ抵抗するなどした。

原告が、このような行動をとるようになった契機は、原告は少年時代以来、窃盗、傷害等の非行、犯罪を重ね、今回の強盗、強姦等による受刑以前に、少年院をはじめとして、以後四回刑務所に服役した経歴を有していたところ、今回の強盗、強姦等事件で未決勾留中の昭和五一年一月ころ、同房のマル青同を名乗る者からアジ演説を聞いて、社会の矛盾に目覚めたとして、同年六月ころから自らも拘置施設内でアジ演説をするようになったもので、刑期確定の前後を通じてB刑務所でも同様な行為を繰り返してきた。

原告は、前記のような政治的、社会的主張の外、自らが過去に犯した犯罪は、その様な社会の仕組みに気付かず、同じ階級の人間を苦しめてきたもので、そのことがわかった以上二度と刑事犯罪を犯さない自覚ができたとして、自らの信条に忠実であるためには、刑務所職員の妨害を排しても、同じ境遇にある他の受刑者に自らの信条を伝達して啓蒙しなければならないとの考えに強くとらわれ、刑務所の規律を無視してこのような行為を続けてきた。

ニ  原告はこれらの行為を繰り返すため、右の軽屏禁罰執行とは別に、この一五五日の期間中に請求原因第二の一1ロのとおり、前後七回合計九四日間にわたり保護房に拘禁された。

ホ  これをまとめると、原告が処遇の違法を主張する昭和五三年一月一九日から同年六月二二日までの合計一五五日のうち九四日は保護房拘禁(うち八一日は軽屏禁執行と競合)、その余の六一日のすべて軽屏禁の執行中であったことになる。

右のとおり、この間の原告の処遇は極めて異例な経過をたどった。

2  原告が昭和五三年一月一九日から同年六月二二日までの間特房及び保護房に拘禁されたこと、この間の右各房への拘禁期間が請求原因第二の一1のとおりであること、右期間中A刑務所長は原告に対し一回も戸外運動をさせなかったこと、またこの期間中A刑務所長は二月九日、二八日、三月二二日、四月一一日、二四日、五月一八日、二四日、六月一五日の八回原告を入浴させただけであること、調髪については、二月二八日、三月二二日、四月二四日、五月一八日、六月一五日の五回、すなわちほぼ月一回させただけであること、顔剃りは右八回の入浴の際にさせただけであること、爪切りは原告が房外に出る機会にさせただけであること、一般受刑者に対する右各処遇の実情が原告主張のとおりであること、はいずれも当事者間に争いがない。

3  被告は、原告に対し一般受刑者と異なる処遇をした理由として、原告が右期間を通じて、終始保護房拘禁中もしくは軽屏禁罰執行中であった等いくつかの点を挙げている。ところで、

イ  懲罰処分は、刑務所内の規律に違反した受刑者に対しある程度の不利益もしくは精神的肉体的苦痛を与えることによって反省を促し、もって刑務所内の秩序の維持を図ることを目的とするものであるから、一般受刑者に比して、一定限度でより大きな自由の拘束を受けることはやむを得ないところである。そして、軽屏禁は、現在実際に行われている最も重い懲罰処分で、受罰者を罰室に昼夜屏居させ、情状によって就業もさせないことを内容とするもの(監獄法六〇条一項一一号、二項)である。したがって、この間の戸外運動、入浴等の処遇は、右懲罰処分の目的を達するに必要な限度でこれを停止あるいは制限することができると解すべきである。

ロ  保護房拘禁は、懲罰処分ではなく、逃走、暴行、自殺のおそれある者、制止に従わず大声を発する者及び房内汚染、器物損壊など異常な行動を反復するおそれのある者で、普通房に拘禁することが不適当な者を、保護房(在監者の鎮静及び保護にあてるための相応の設備及び構造を有する独居房)に拘禁する措置であって、右のような行動に対する緊急の制止的、予防的な対応である。したがって、本来保護房拘禁は、保護房以外の場所に収容することが不可能もしくは著しく困難な状況が継続している場合に限ってとり得る措置である。保護房拘禁を継続すべき状況があるのに戸外運動、入浴等を実施すべき場合はむしろ例外であろう。ちなみに、保護房の使用について定めた昭和四二年一二月二一日付矯正局長通達は「保護房に拘禁すべき事由が消滅したときは、直ちに拘禁を解除しなければならない」とし、さらに、「保護房には七日を超えて拘禁してはならない」「ただし、必要があるときは三日ごとにその期間を更新することができる」としており、保護房拘禁が原則としては長期にわたるものではないことを予定している。

したがって、保護房拘禁中は、右の屏禁罰執行中の場合以上に、戸外運動、入浴等の処遇においても一般受刑者に比してより大きな制限を伴わざるを得ない場合があることは当然といわねばならない。

ハ  と同時に、このことは保護房拘禁中もしくは軽屏禁の執行中であれば無条件に戸外運動、入浴等の一切を停止し得ることを意味するものではない。けだし、これらの各処遇事項は、程度の差こそあれ、受刑者に心身両面における健康を保障することと密接な関連を有する事項であるからである。

4  このようにみてみると、保護房拘禁中もしくは軽屏禁執行中の受刑者に対し戸外運動、入浴等を停止もしくは制限するかどうか、実施するとしてもどの様な実施方法によるか等は、その具体的運用にあたる刑務所長の裁量に委ねられているものと解される。いうまでもなく、保護房拘禁を必要ならしめる事由、軽屏禁罰の理由となっている規律違反行為の態様、程度、継続期間等をはじめ、対象者の行状、性格、心身の状況等は、多種多様である。刑務所長は、刑務所における受刑者の処遇や規律の維持についての専門的知識と経験をもとに、保護房拘禁もしくは懲罰の執行の目的と右のような諸事情とを具体的に総合勘案したうえこれを決することができる。そして、刑務所長の裁量が、前記諸事情からみて合理的な基礎に基づかず、もしくは、妥当性を著しく損なうなど、正当な裁量の範囲を逸脱したとみなされる場合に限って、裁量権の濫用として違法となり得るというべきである。

5  これを原告についてみるに、原告はA刑務所に移送された直後から、意図的にかつ多数回にわたり執拗に前記認定のような規律違反行為を重ね、これを制止する看守に対して、無視したり反抗的言辞で対するなど反抗的姿勢が著しく、A刑務所においてもその処遇に苦慮し、懲罰委員会の議を経るなどして、軽屏禁と保護房拘禁とを交互に執行するという前記認定のような異例の処遇となったものである。

そこで、右の事情をもとに原告主張のこの間の処遇について検討する。

イ  入浴は平均して二〇日に一回の割合で実施された。これは一般受刑者の夏季五日に一回、冬季七日に一回に比して著しく少ない。入浴が人の精神的肉体的健康と衛生の保持に密接に関わるものであることを考慮すると、一五五日に八回というのは少なきに失する感は否めないけれども、他方、前掲各証拠によると、A刑務所長は、これを補うものとして、原告に対し房内に湯を配布して身体を拭わせる「拭身」と称する方法をほぼ五日に一回の割合で実施したことが認められ、これを勘案すると、原告に対する右のような入浴の制限の具体的措置が刑務所長の前記合理的裁量の範囲を逸脱したものとまではいえず、この点に関する原告の違法主張は理由がない。

ロ  調髪、顔剃り、爪切りについては、前記のとおり、調髪はほぼ月一回の割合で実施し、顔剃りは入浴の際にその都度させたのでこの間に八回実施し、爪切りは房外に出る機会に実施した。これらは、一般受刑者に比して少ないけれども、右各事項の持つ健康上、衛生上の重要性は入浴等より小さいこと、これらの事項がいずれも一定の刃物を使用するものであること、また原告がこの期間中間断なく保護房拘禁中もしくは軽屏禁執行中であったことにかんがみ、これらの事項についてのA刑務所長の具体的運用が前記合理的裁量の範囲を逸脱したものとはいえず、この点に関する原告の違法主張も理由がない。

ハ  次に、戸外運動の停止について検討する。

(一) 戸外運動は、前記入浴の点にまして、人の精神的肉体的健康の保持の上で不可欠な営みの一つであることは論を俟たない。現行法においても、受刑生活における運動の確保には慎重な配慮がなされ、監獄法は三八条で、「在監者にはその健康を保つに必要なる運動をなさしむ」と定め、同法施行規則によって、一般的処遇基準として、毎日三〇分以内の戸外運動をさせること(一〇六条一項)を、さらに、独居拘禁に付された者の戸外運動時間を一時間以内に伸張する旨(同条二項)を定めている。また、監獄法六〇条は懲罰として独立に科される運動の停止を五日以内に限定している(同条一項八号)。(さらに、近時の法改正論議の中でも、懲罰としての運動の停止はこれを廃止すべきとの意見が極めて有力であることは当裁判所に顕著な事実である。)

右のような現行法における運動の位置づけにかんがみると、受刑生活における戸外運動の確保には十分な配慮が要求されるというべきであり、戸外運動の停止を長期間にわたって継続することは、原則として許されないと解される。そして、その限度は、いま直ちに明確な基準を示すことはできないけれども、前記各法条の趣旨を総合勘案すると、二週間程度を一応の基準とすべきものと解すべきである。

とはいえ、行刑の現場での諸様相は右の原則により得ない特別な場合を現出させるであろう。戸外運動を実施することによって保護房拘禁の目的が直接的に没却されることが明らかに予見される場合、あるいは戸外運動の実施が軽屏禁懲罰の原因となった規律違反行為の反復継続に直結することが明らかに予見される場合など、運動の停止を不可避とするような特別な事情がある場合は、右期間を超えて運動の停止を継続することが許されると解すべきである。

(二) これを原告についてみるに、A刑務所長は、原告をA刑務所に収容以来、前記のとおり一貫して独居拘禁が続いた一五五日の間一回も戸外運動をさせなかった。また、《証拠省略》によると、A刑務所長はこの間一度も原告に対し戸外運動を実施する試みをしなかった。そして、右期間のうち実に九四日が保護房拘禁中(うち八一日は軽屏禁懲罰の執行と競合)であり、その余の期間もすべて軽屏禁懲罰の執行中であった。

被告は、右戸外運動停止の措置の理由として、①原告が右期間を通じて保護房拘禁中もしくは軽屏禁執行中であったこと、②原告の規律違反行為の計画性、執拗性、反復継続の意志の強固さ、さらに、③A刑務所が粗暴犯、暴力団関係受刑者等いわゆる処遇困難者を多数収容しているところ、原告の規律違反行為は他の受刑者に対し看守への反抗を教唆、扇動するもので、A刑務所の秩序の維持を害するおそれがあること、④他の受刑者から原告に対する加害など不測の事態が予想されたこと、等を挙げている。

これを検討するに、①については、保護房拘禁中あるいは軽屏禁執行中であることのみをもって、直ちに戸外運動の長期間の停止が許容されるものではないことは前説示のとおりである。③については、なるほど原告が執拗に反復するアジ演説の中には受け取りようによっては他の受刑者に対し看守らへの反抗を呼びかけるかのごとき文言も含まれている。しかし、これらはごく抽象的なもので、演説内容を全体としてみれば、原告独自の階級社会観を披瀝し、いうところの社会変革への決意を表明するとともに、他の受刑者に対し、現在の社会の仕組みのからくりに目覚めて、自己のおかれた状態を自覚するよう呼びかける点に中心があるものと認められ、右のような文言が他の受刑者の反抗を誘発しかねないような具体性のあるものではなかったと認められる。また、④については本件全証拠によるもそのようなおそれがあったことを認めるに足りない。問題は②の点であり、その意志の強固さ、反復性、執拗さからすると、A刑務所長が原告が戸外運動の機会を捉えてアジ演説をするなどの規律違反行為に出ることを危惧したことは当然であったといえる。しかし他面、《証拠省略》によると、原告はごく実利的な側面も持っており、そのような行動をとることが戸外運動の機会の剥奪につながるとすればこれを回避することを選択する可能性もまたかなり大きかったと認められる。現に、A刑務所長は、この一五五日の経過後である昭和五三年六月二九日以降、原告に対し、軽屏禁執行中(ただし、保護房拘禁中は除く)にも概ね二週間に一回の割合で戸外運動を実施して今日に至っているが、右戸外運動の実施が原告の前記のような規律違反行為に利用されたり、これを誘発したことは一度もなかったことが認められる。他方、前記規則一〇六条二項の趣旨からすると、その全期間を昼夜間独居拘禁に付された原告の場合、その精神的肉体的健康の維持の為に、戸外運動の実施の必要はそれだけ大きかったというべきである。

(三) 右認定の事実を総合すると、原告に対する戸外運動の長期にわたる停止が避けられなかったと認めるに足る特別の事情があったとは認められない。もちろん、原告はA刑務所に移送以来前記のような規律違反行為を執拗に反復継続し、看守に対する反抗的態度をあらわにするという異例な類型に属する受刑者であったから、A刑務所長としても、受刑者の処遇や規律の維持についての専門家としての立場から、そのあるべき処遇の検討に一定の期間を要したことは当然である。しかしながら、その点を考慮にいれても、遅くとも移送以来二か月を経過した時点では、原告に対する運動の一切の停止を一定の範囲で解除し、もしくは解除する試みをなすべきであったといわねばならない。したがって、右の二か月を超えて一五五日間の長期にわたって戸外運動を停止し、かつ、この間一度も戸外運動実施の試みをしなかったA刑務所長の措置は、合理的裁量の範囲を逸脱した違法な措置であったといわざるを得ない。

なお、《証拠省略》によると、A刑務所長は、この間軽屏禁執行の前後に医師の健康診断を実施した(これは監獄法施行規則一六〇条、一六一条、一六三条に規定されているものである)外、原告の申し出のある都度医師の健康診断を受けさせたこと、この間の原告の健康にさして異常がなかったことが認められるが、右のような措置がとられたからといって、これを戸外運動の実施に代替し得ると解することはできない。

よって、被告は原告に対し右違法な措置によって生じた損害を賠償する義務がある。

三  請求原因第二の二(保護房及び特房の設備上の瑕疵)について

1  《証拠省略》によると、昭和五三年一月一九日から昭和五五年五月五日までの間の保護房拘禁及び軽屏禁執行にあてられた保護房及び特房には、水道の蛇口一個と水洗便器が設置されているが、給水止水を操作する給水栓は房内にはなく、房外に設置されていて、看守がこれを操作する仕組みになっている。このため、一般の居房では被収容者が水道と水洗便器の給止水を房内で自由に操作できるのに対し、保護房及び特房では、房外の看守が食事の前後等の定時に、もしくは、用便後に被収容者の申し出により、房外に設置された給水栓を操作することになっていて、被収容者が自由に給止水することができない(ただし、特房については本訴提起後である昭和五三年夏ごろ、水道についてのみ給水栓が房内に設置された)。

2  しかし、保護房は自殺、自傷行為等の防止を含め、在監者の鎮静及び保護にあてるための房であり、特房はA刑務所においては軽屏禁等の懲罰の執行にあてている房であるところ、房内に給水栓を設置すると、被収容者に於て床に水をまき散らしたり職員に水を浴びせるなどの職務妨害行為や、自殺を容易にするべく衣類を水で濡らして絞首用の紐を作るなどの危険行為も予測され、これらを未然に防止する必要からこのような設備にしたことが認められる。したがって、一般の居房に比しての右程度の設備の差等は、保護房及び特房の設置目的に照らし合理性があるというべきである。

よって、右の点を捉えて、国家賠償法にいう「公の営造物の設置に関する瑕疵」にあたるとする原告の主張は失当である。

3  なお、原告は、右各房の給水栓が房外にあることによって給止水が担当看守の恣意に委ねられ、看守による私的な制裁を可能とする旨主張するが、これは右房外の給水栓操作の運用の問題であり、設備に関する瑕疵とはいえない。

さらに、原告は、担当看守が故意に給水栓の操作をしなかった旨主張するが、《証拠省略》に照らし直ちには措信できず、他にこれを認めるに足る証拠はない。

4  よって、原告の請求原因第二の二の違法主張は理由がない。

四  請求原因第二の三(長期にわたる独居拘禁の継続)について

1  A刑務所長が、原告を、昭和五三年一月一九日から昭和五九年九月末日まで引続き保護房及び特房もしくは病舎1房において独居拘禁してきたことは当事者間に争いがない。

2  そこで右独居拘禁の実情を具体的にみるに、

イ  昭和五三年一月一九日から同年六月二二日までの拘禁の実情については前記二の1イ、ニ及びホで認定したとおり、この間の一五五日のうち保護房拘禁九四日、保護房拘禁と競合しない軽屏禁執行六一日であった。

ロ  《証拠省略》を総合すると、昭和五三年六月二三日以降昭和五九年九月末日までの拘禁状況は次のとおりである。

(一) 原告は、前記認定のような規律違反行為をその後もやめず、このため保護房拘禁と軽屏禁執行がほぼ継続して繰り返された。その日数を各年ごとにまとめると次のようになる。(なお、保護房拘禁の初日と最終日は保護房拘禁日に計上した。また、昭和五四年六月四日までは保護房拘禁中にも軽屏禁を競合して執行しているが、右競合した期間は保護房拘禁日数にのみ計上し、軽屏禁執行日数からは除外した。)

昭和五三年六月二三日から同年末日までの一九二日中

保護房拘禁一一二日 軽屏禁執行八〇日

昭和五四年の三六五日中

保護房拘禁二六七日 軽屏禁執行九二日

その他六日

昭和五五年の三六六日中

保護房拘禁一四九日 軽屏禁一九一日

その他二六日

昭和五六年の三六五日中

保護房拘禁二〇二日 軽屏禁執行一四〇日

その他二三日

昭和五七年の三六五日中

保護房拘禁一八九日 軽屏禁執行一三一日

その他四五日

昭和五八年の三六五日中

保護房拘禁一二一日 軽屏禁執行一八八日

その他五六日

昭和五九年九月三〇日までの二七四日中

保護房拘禁一一日 軽屏禁執行一七六日

その他八七日

ハ  右イ及びロを通算すると、昭和五三年一月一九日から昭和五九年九月末日までの合計二四四七日のうち、

保護房拘禁 一一四五日

軽屏禁執行 一〇五九日

その他    二四三日

となる。

そして、右のうち保護房拘禁及び軽屏禁執行は性質上当然に昼夜間独居拘禁であるし、A刑務所長は、その他の二四三日も監獄法施行規則四七条の「在監者にして戒護の為め隔離の必要あるものは之を独居拘禁に付す可し」との規定に則って昼夜間独居拘禁に付したため、原告は右の全期間を通じて、終始昼夜間独居拘禁を受けることになった。

3  そこで、A刑務所長が原告を右の全期間を通じて以上のような保護房拘禁と軽屏禁を含む昼夜間独居拘禁に付した措置の適否につき検討する。

イ  監獄法一五条は、「在監者は心身の状況に因り不適当と認むるものを除く外之を独居拘禁に付することを得」と定めていて、刑務所内における在監者の拘禁形態につき、独居拘禁を原則としているかにみえるが、他方、同法施行規則二七条一項では「独居拘禁の期間は六月を超ゆることを得ず、但特に継続の必要ある場合に於ては爾後三月毎に其期間を更新することを妨げず」とし、同三一条、三五条ないし四〇条では夜間独居拘禁、昼夜間雑居等につき規定し、さらに、その後の行刑累進処遇令ではむしろ雑居拘禁を原則とし、上級の受刑者にのみ昼間雑居・夜間独居を認める立場をとっている(同令二九条以下)。もともと、行刑施設内に於て、受刑者をどのような形態でどのような場所に収容するかは、行刑の根本的な問題の一つであるが、右各法条を統一的に解釈すると、昼夜間独居拘禁が本来社会的存在である人間としての生活のあり方とかけ離れた不自然な生活を強いるものであり、その継続はそのこと自体過酷であって受刑者の心身に有害な影響をもたらすだけでなく、行刑の目的の一つである社会生活への適応(同令一条)そのものを阻害するおそれがあること、他方、昼夜間雑居は受刑者のプライバシーの保護や精神生活の充実の見地から問題が多いことから、昼間雑居・夜間独居を望ましい形態として理念したものと解される。

もちろん、刑務所施設の安全と秩序の維持もまた基本的な要請であり、その見地から、監獄法は昼夜間独居拘禁の加重形態である屏禁罰を、また、前記規則四七条はいわゆる保安上の昼夜間独居拘禁の制度を定め、さらに、刑務事故の抑止と予防のための保護房拘禁も許容されている。そして、受刑者をこのように懲罰に付し、保安上の独居拘禁に付し、あるいは保護房に拘禁することは、行刑の専門家としての刑務所長の合理的裁量に委ねられているものと解される。しかし、その具体的運用にあたる刑務所長としては、右法条の趣旨にかんがみ、昼夜間独居拘禁が過度に長期にわたることのないよう慎重な配慮を求められているというべきであり、その判断が著しく妥当性を欠く場合には、その措置は違法となる。

ロ  ところで、原告に対する処遇は、既にみたとおり、本来の処遇のあり方とはほど遠いものになった。これは、約二四〇〇日を超える前記期間内の四七パーセントが保護房拘禁中であり、四三パーセントが軽屏禁懲罰の執行中であったこと、その余の一〇パーセントは前記規則四七条の「在監者にして戒護の為め隔離の必要あるものは之を独居拘禁に付す可し」とのいわゆる保安上の独居拘禁の措置がとられたこと、によるものである。

そして、A刑務所長は一貫して保護房拘禁、軽屏禁罰を含む昼夜間独居拘禁を継続し、この間独居拘禁の一部解除等の試みを一切しなかった。

A刑務所長が、原告に対し保護房拘禁と軽屏禁罰とをもって対処したのは、原告が、先に認定したような規律違反行為を執拗に反復したことによるもので、その一つ一つを捉えればやむを得ないところであったようにも思われる。また、保護房拘禁と軽屏禁執行の連続するあい間にごく短期間平常の処遇がはさまるといった状態では、累進処遇令に則った本来の処遇の展開は著しく困難であることはもちろんであり、保護房拘禁と軽屏禁執行のあい間を昼夜間独居拘禁に付した措置もその限度で一応やむを得ないというべきであって、外形的には刑務所長の右の個々的な措置にはそれぞれに一応の理由があったといえる。

しかしながら、その結果を全体としてみると、これまでのA刑務所における原告の受刑生活のすべてである二四〇〇日を超える長期間を昼夜間独居拘禁に終始させることになり、なかんずく、その半分近くを保護房における拘禁で経過させることになった。

ところで、保護房拘禁にあてられた保護房は、《証拠省略》によると、その容積こそ縦二九二ないし二九八センチメートル、横一五五ないし二二三センチメートル、高さ二六八ないし二八二センチメートルであって一般の独居房と比べて遜色がないが、四囲は全面が壁もしくは鉄製の扉で、外光の取入れ口としては僅かに壁の高位置にはめ込まれた横八五センチメートル、縦四七センチメートルもしくは横八五センチメートル、縦八六センチメートルのプリズムガラスの明りとり一箇所があるのみで、照明は螢光灯に頼っており、またそのプリズムガラスも不透明であるため四六時中狭い房内以外に視線をやることができない。さらに、外気の流通手段としては、壁面の上下二箇所に設けられた換気孔を通じての換気扇による強制換気だけで、自然換気は全くない。その閉鎖性、密閉性は、極めて高度である。また、房内設備としては両隅に水道蛇口一個と和式水洗便器とがそれぞれ床面と同じ高さに埋め込まれているだけである。床面はウレタンの塗り床で畳の設備はなく、居住性は劣悪である。

このような構造は、保護房の前記のような設置目的や、元来短時日の収容を予想していることからして、やむを得ないものと思われるけれども、収容が長期間にわたる時は、その閉塞感、被抑圧感、隔絶感、疎外感はすこぶる大きなものとなり、被収容者の心身に及ぼす悪影響は軽視できないといわねばならない。

なお、保護房拘禁中以外の原告の拘禁場所は、昭和五五年五月五日まではその殆どが特房(中でも主として特1房)であったが、同房は、前掲各証拠によると、一般独居房と比べると、前述のように給水栓を房外に設置したり、房内の突起部分を最小限に減らしたり、窓の一部を埋め込みのプリズムガラスにしたなどの相違点があり、その限度で設備的に劣るが、外光、外気などその他の点では一般独居房にかなり近い。

さらに、同年五月六日以降は、原告の拘禁場所は一般舎房からはなれたところにある病舎の中の独居房である病舎1房で軽屏禁執行及び保安上の昼夜間独居拘禁を受けているところ、右病舎1房は、一般独居房と比べて遜色のない設備となっている。

ハ  保護房の実情が右のようなものであることを考慮するとき、二四〇〇日を超える拘禁期間のうち半分近い期間が保護房拘禁で占められている本件独居拘禁の継続は、はたして刑務所長の合理的裁量の範囲にあるといえるであろうか。

まず、前記のとおり、昭和四二年一二月二一日付矯正局長通達は、保護房の収容期間を七日以内とし(ただし、三日毎の更新を許容する)、「保護房に拘禁すべき事由が消滅したときは、直ちに拘禁を解除しなければならない」としている。その具体的運用にあたる刑務所長としては、少なくとも、保護房拘禁の反復が常態化するような事態は回避するべく、最大限の努力を尽くすことを要求されているといわねばならない。

一方、これらの措置の理由となった原告の規律違反行為の内容とその態様は、昭和五三年一月一九日から同年六月二二日までの行為として、二の1ハ及び5ハ(二)で認定したとおりであるし、その後も、原告は強固な反復継続意志と執拗さを維持して、同じパターンの規律違反行為を繰り返していることからすると、刑務所長において刑務所施設の秩序と規律の維持の見地から、これに対して同様に保護房拘禁と軽屏禁罰の繰り返しをもって臨んだこともやむを得ない面がある。

しかし、ひるがえって考えるに、原告の右のような規律違反行為の背後には、自己の世界観、社会観、価値観を同じような境遇・立場にある周囲の受刑者に伝達し、働きかけ、影響し合いたいという、社会的存在である人間としての本来的要求があることが窺われる。

そして、その要求自体は、表現の自由を保障した憲法二一条の規定の趣旨に照らし、また、民主主義社会における思想、信条の自由な伝達の重要性にかんがみ、受刑中であることのみをもって全面的に制約することはできない性質のものである。その表現しようとする思想、信条が仮に現在の社会秩序を否定する内容を持つものであっても別異ではない。ただ、右の自由も合理的理由からする制約を受けることは当然であり、本件においては刑務所の規律と秩序の維持のために必要な限度で制約を受けるのである。

原告の場合、A刑務所に収容されて以来、自ら招いたことではあるけれども、連続する軽屏禁執行と保護房拘禁のために、他の受刑者と作業、運動、食事を共にしたり、或は刑務所施設内での各種の催しに参加したり、他の受刑者と交談したりして接触する機会が全くなかった。そのような状況の中で、前記のような規律違反を重ね、これに対する刑務所長の処罰等の措置に対し、その独自の社会観と短絡的行動傾向から、ますます反抗の度を高めていった側面があると認められる。

加えるに、このような原告の独善的、短絡的思考と行動傾向は、他人との社会的接触や交流を通じて変容を期待し得る側面も持っている。行刑の運用において、管理的要素とともに矯正的要素にも十分な意を払うことが要求されていることを考慮するとき、そのような方法は行刑の目的の一つである将来の社会生活への適応性の涵養の見地にも合致すると考えられる。

このような角度から原告の受刑中の実情を見ると、前掲各証拠によると、原告は先に認定したような規律違反行為に対する刑務所側の制止や懲罰等の対処に対しては頑なな姿勢を維持しているものの、他の受刑者との間では、例えば房の移動や、入浴等のための移動の際他の受刑者のそばを通ったり、近くの房に他の受刑者が収容されたりする時などにも、とりたててトラブルといえるようなことはなかったこと、昭和五四年一、二月には戸外運動で他の受刑者と一緒になることが二回あったがなんら問題行動はなかったこと、昭和五四年五月ころからは保護房拘禁中や懲罰執行中でない時は房内作業としてスリッパの底貼りの作業もしてきていること、が認められる。また、原告がこのような規律違反行為をするようになった経緯には、前記のように、犯罪を重ねてきた自らの過去に対する原告なりの反省と悔悟の気持ちの醸成も関わっている。さらに、原告は本人尋問(第二回)において、雑居拘禁になればそれなりの対応をする、普通に話ができるのに大声を上げるなど無謀なことはしない、看守に反抗することは本意でない、自分の思想を変えること、現代社会の仕組みについて他の受刑者に自分の考えを理解してもらうことが目的だ、などと述べている。

右の各事実には、わずかとはいえ、原告に対する処遇において行刑における矯正的要素を拡大していく契機が含まれているというべきである。

これらを総合すると、他の受刑者との接触、交流の一切を遮断した刑務所長の措置には前述のような処遇における矯正的要素を軽視した側面があることを否定できない。

ニ  右の諸事情に加えて、長期にわたる独居拘禁を可及的に回避すべきこと、とりわけ、保護房拘禁の反復が前記のように受刑者の心身に軽視できない影響を与えることが避けられないことを考慮するときは、保護房拘禁と軽屏禁の連続が必ずしも直ちには原告の規律違反行為の抑止につながらず、このため、同様の対処では保護房拘禁と軽屏禁罰の繰り返しが避けられないとの予見が可能となった段階で、刑務所長としては、独居拘禁の一部解除を含め、何らかの別個の対処を講じるべきであったといわねばならない。

その時点をいつとみるべきかは困難な問題で、明確な区切りをつけることはできないけれども、原告の拘禁状況をみると、A刑務所入所以来昭和五三年末までの三四七日中にも、既に一〇数回にわたり合計二〇五日(五九パーセント)の保護房拘禁がなされたうえに、さらに翌昭和五四年に至っては三六五日中一〇数回にわたり合計二六七日と、七〇パーセントを超える保護房拘禁がなされている。これを考慮すると、遅くとも昭和五四年の末日には、原告に対し保護房拘禁の繰り返しが避けがたいことの予見が可能であったというべきである。

にもかかわらず、A刑務所長は、右以降も一貫して保護房拘禁、軽屏禁罰を含む昼夜間独居拘禁を継続し、この間昼夜間独居拘禁の一部解除等の別個の処遇の試みを一切しなかった。

もちろん、昼夜間独居拘禁の一部解除等の措置が、刑務所の秩序と安全に放置することのできない程度の障害を生ずる相当の蓋然性があると認められるような特別の事情がある場合には、刑務所長としてはこれを回避すべきである。しかし、先に認定のような原告の規律違反行為の態様、A刑務所がいわゆる犯罪傾向の進んでいる受刑者を収容対象としていること、等を勘案しても、なお、当時右のような特段の事情があったとは認められず、他にこれを認めるに足る証拠はない。

ホ  以上検討したところによると、A刑務所長が原告に対する保護房拘禁及び軽屏禁執行を伴う昼夜間独居拘禁を継続したうえ、その一部解除等の措置を一度も試みることなく昭和五五年一月一日以降もこれを更に継続した時点で、同刑務所長の措置は、その合理的裁量の範囲を逸脱して違法なものとなったというべきである。

よって、被告は原告に対し、右違法な措置によって原告に生じた損害を賠償する義務がある。

五  損害について

1  以上の次第で、被告は原告に対し、国家賠償法一条一項により、請求原因第二の一の戸外運動の長期にわたる停止の措置と、同第二の三の保護房拘禁及び軽屏禁執行を含む長期にわたる昼夜間独居拘禁の継続による損害を賠償すべきところ、原告は、右各措置を含む本件拘禁を一体として捉え、これによる精神的肉体的苦痛の賠償を求めているものと解されるので、これに従い、損害を一体として算定することとする。

2  そして、如上認定の諸事実及び諸般の事情を総合勘案すると、右違法な各措置を含む一体としての本件昼夜間独居拘禁によって原告に生じた精神的肉体的苦痛を慰謝するには、金三〇万円をもって相当とする。

また、これに対する遅延損害金の起算日は、本件独居拘禁期間の原告主張の最終日である昭和五九年九月末日の翌日である同年一〇月一日とすべきものと解される。

六  結論

以上によれば、原告の本訴請求は、被告に対し、金三〇万円とこれに対する昭和五九年一〇月一日から支払い済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める限度で理由があるからこれを認容し、その余は理由がないのでこれを棄却すべきである。

よって、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 二宮征治)

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